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超革命的道場論が格闘技を変える!

超革命的道場論が格闘技を変える!

極真会館から独立し、黒澤道場として2019年度で早22年の月日が経ちました。その間、K-1をはじめとしてPRIDEなどの試合に出場させていただき、あわせて国内外での修練および研修を重ね、様々な経験を得ました。その結果、今後私自身が取り組んで行く空手道の進むべき在り方がやっと明確になりました。今日までの肉体的、格闘的な技術のみを伝え指導を行う空手ではなく、今後におきましては、礼儀と作法を重んじる「心の空手」の指導を行わせていただきたいと思います。特に子どもさん方への指導はその点をしっかりと行わせていただきたく思っております。つきましては、実践空手黒澤道場の名称を、格式と神格を兼ね備え、世界に通用する名称として『聖心館』(聖心館空手道)と改名させていただきました。

皆様方におかれましては、ご理解の程をよろしくお願いいたします。

聖心館館長 黒澤浩樹
1962/09/06‐2017/03/25

超革命的道場論が格闘技を変える!
1984年
第16回 極真全日本空手道選手権大会優勝
1985年
第17回 極真全日本空手道選手権大会準優勝
1993年
第25回 極真全日本空手道選手権大会6位入賞
1987年
第4回 極真全日本ウェイト制空手道選手権大会準優勝
1993年
第10回 極真全日本ウェイト制空手道選手権大会3位入賞
1995年
第12回 極真全日本ウェイト制空手道選手権大会3位入賞
1987年
第4回 極真全世界空手道選手権大会6位入賞
1991年
第5回 極真全世界空手道選手権大会3位入賞
1995年
第6回 極真全世界空手道選手権大会6位入賞

第4回~第6回まで極真全世界空手道選手権大会連続出場!!

第16回大会では最年少で初出場初優勝という前人未踏の快挙でデビューを飾る。
その強烈な下段回し蹴りで相手を圧倒することから黒澤は「格闘マシーン」と呼ばれ一躍極真空手の窮児となった。
その後、松井章圭らと「四天王時代」を築いて縞を削り合う。

1997年極真会館から独立。自らの道場、黒澤道場を設立。同年「PRIDE-1」で、膝前十字靱帯、内側靱帯が完全断列、ハムストリングス筋断列というアクシデントが起きた。普通の人間ならば、一生歩行に支障をきたす程で再起不能かと思われるこのケガから1999年7月4日「PRIDE‐6」で見事な復帰を遂げ全盛期と言わせた。

黒澤の空手人生に於いては数々のエピソードがある。第4回全世界空手道選手権大会での対P・スミス戦は、黒澤自身が歩行不能になるまで戦い続けた死闘となる。そして、第8回ウェイト制大会での七戸戦では、左薬指の骨を露出させた開放骨折のまま試合を続け、その結果戦闘不能となり惜しくも準決勝進出を断念する。このように黒澤は幾度となく不運な負傷などに見舞われてきたが、それでも常に黒澤らしい戦いを見せてきた。

1997年10月11日、黒澤は1ファイターとして初めて異種格闘技戦に挑み、さらにその大会を主催する団体「KRS」の代表幹事を務めた。対戦相手はイゴール・メインダート。この試合で黒澤は1R中盤で右膝十字靱帯断列という戦場での致命傷を負ったが、破壊されて立てるはずのない、そして蹴れるはずのない足で尚も下段蹴りを放ち続けたが、結果、壮絶にもドクターストップによるTKO負けという結果に終わる。黒澤はまさに大山倍達総裁の極真魂を見事に具現化している唯一の人物と言ってもよいのではないのだろうか。

2017年3月25日
急性心不全のため他界

黒澤道場から聖心館(聖心館空手道)へ

 黒澤道場から聖心館(聖心館空手道)へ

立ち技でPRIDEやK-1に出場し、また海外での修錬などを経て独自の空手道の追及(心の空手)をするために2011年1月聖心館空手道と改名した。

また、選手が強くなって試合に出て行っても、どうしても黒澤道場のといつも黒澤の名前が前に出ているのが気になっていたこともあり、これからは聖心館選手として、生徒の名前が一番になることも改名の理由となりました。